猫好きダイアリー

no cat no life

伝わらないって悲しいけど。。。


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普段から『わかりやすい説明』を心がけている身としては、
それが時々ズタズタのボロボロ……つまりズタボロになった時にショックを受ける。

あぁ、、意図が全然伝わらない説明をしてしまった……
話がおかしな方向にいったな……などなと
今日がそれでしたの。


後から『あ〜もっとこうすればよかった』など、たまらない後悔がわいてきます。
つまり今がそうです。。


時々『説明がわかりやすい!』とか『説得力がある!』と言っていただける一方で、
用意していないこと……つまり聞かれて瞬間的に答えるとか、そうした時に起きやすい。
私はあらかじめ自分の中で整理しておく必要があるのです。
『ちょっと待って』と言えば良い話なんだけど、焦って答えてしまうことがある。

今日のはまあまあの後悔具合です。

そんなのも『もっとわかりやすく言えたのに!キィィィ』っていう、
なんかわからない無駄なプライドのような気がしますね。。

そしてこれを自分を責める道具に使っている私なのです。


少し前にとある友人と話していて、友人の話に反対意見のようなことを伝えまして。
で、このパターンも時々あるんです、今まですでに。
そして大体この後疎遠になっていきがちですよね。
最初は『相手の意見を極力肯定しよう!』と思っていまして、でもなんか出てしまったんです。
『いやいや、頑張る方向そっちじゃないよー!まず○○○だよー!』って思ってしまって。

これもね、全然伝わらなくて。
喋っても喋ってもね。
いやもう、私、その人との友達関係が終わる覚悟です。
その後もしばらく自分を責めて。


しばらくして、言いたい事を我慢して同意するより、
思ってることを伝えなかったら何のかいもないし、言ってよかったなと今は思っていますけれど。

相手は私にそんなことを求めてなかっただろうな〜っていうのがわかるだけに、
わかりすぎてるだけに、期待に応えず優しくできなかった自分を責めてるのかもしれません。

そのね、相手の言って欲しいことを察して、
それだけするコミニュケーションを続けるのも破滅の道だともう知っているのですけどね。


あ、そうだ。
なんで立ち直れたのかって、もしかして『ちはやふる』の最新巻を読んだからかも!
この中にわりと新しい登場人物で、出てくるある女の子。
褒められたくて褒められたくて、、で、相手に自分の言わせたいことを言わせるように仕向けていく。
そのことに周りは辟易して、ちょっとした問題が起きるんです。

で、その時に、の女の子の先輩が、その子を褒める。
だけどね……その後に言うんです。
『こんなの嘘でも言えるよ。
人は自分の言って欲しいことを言ってくれる人に簡単に操作されるよ。
そんな簡単な人間になるな』
って。

まーーーシビレました。

なぜなら!!
これを読んで思い出したけど、私自身がこの女の子と似た境遇というか……

私、子供の頃、テストで100点は当たり前〜みたいな子供時代を過ごしまして、
けれどそのことを親に褒められた記憶がないんです。

そもそもテストの結果に興味なんか示してたか?
いくつのテストで100点取っても、
学力テストで学年一位になろうとも、
大学の成績が優秀で特待生になろうとも、、、
特待生の時なんて『何かの間違いじゃない?』っていうのが最初の反応。

そんなこんなで、子供の頃、私は80点をたまに取って、
褒められる磯野家の(サザエさんの)カツオが羨ましくて羨ましくて羨ましくて羨ましくて。
ちびまる子ちゃんも羨ましくて。

決してできない子になることを望んでたわけではないはずだけど、一方でそういう人が羨ましい。。

ここ数年でも無意識にそう思ってしまってることがあって、
なんでそうなんだろう??って思ってたけど、それってこの頃から始まっていたのかも〜。

まったく褒められなくても宿題はちゃんとやるしテストの勉強もするし、
だから人が見てなくても手を抜かない私が形成されたんだと思うんですけどね。

話がそれましたが。
そんな感じで、あぁ本当に他人に何かを言ってもらって自分を満たそうなんて、
どうしようもない考えだなと『ちはやふる』のメガネくんに教えられました。

だから、このこともね、これで良かったんだと。
これで終わる関係ならここまでだなと。
腹を括りました。

あのね、心屋さんとかがよく言ってるでしょ。
『やりたくないことをやめて、やりたいことをやる』っていうやつ。
私ね、その友達の話を聞いてて、その人が本当にやるべきことは……
その人が選ぼうとしてることの前に、本当に向き合うべきことは、もしかして……って。
そしてそれが、正に私が一昨年とか去年くらいに思ってたり、言ってたことだったんです。
だから言わずにはいられなかったのです。


けれど、人はいろんな段階があるから、たとえそれが回り道だとしても、必要なことなのかもしれません。
同じような考え方で同じように選んでも、結果が100%同じになるとも限らないし。
私が選べるのは、私の人生のことだけ。
せめてこのことを、友達に伝えたという私自身の責任は、しっかりと持っていこうとおもいます。


おしまい。