猫好きダイアリー

no cat no life

戦わないという選択肢。


スポンサーリンク

今のわたしなら、もっとうまくやれるんじゃないか。
今のわたしなら、あんなことにはならないのに。


実はずっと思ってました。
ずっとずっと思ってました。


私が、入社一年ほどでついた上司は、とても白黒ハッキリ付ける、好き嫌いの多いタイプで、
何しろハードワーカーでした。

朝5時まで働いていて、夜中に何通も何通も部下にメールを送ってくるのです。
私も毎日深夜まで働いていました。


終電で帰って、帰りながら日報を作って、家に帰って再びメールチェックして、やっと寝る。
海外との仕事をしていたものですから、むしろ夕方からがピークタイムだったんですよね。


働いて働いて働いて、、、
ただがむしゃらに働いていました。


1年間で年俸を3桁上げてもらったり。。
(まぁ、残業代もつかず、元々が安かったので、勤務時間で割ると恐ろしいことになってましたが……)


わけもわからず、予算作ったり、英文の契約書を締結しなきゃならなかったり、
海外出張して売り込みして、マーケティングして、、英語の企画書作ったり、自分で翻訳したり、、、
って今考えたらよくやってたなーと思います。


私は英語が流暢に喋れるわけでもなく、結構大変だったんですよね。
とてもストレスだったんだと思います。


夜絶対に遅くなるのに、フレックスもなく、ほんとに息も絶え絶え出社してました。笑
疲れてそのまま寝て、ギリギリの時間に起きて、シャワー浴びて、びしょ濡れの髪のまま電車乗ったりとか。
若かった。笑


で、話が戻って、その頃の上司。
「タイムリー」が口癖の上司。
何人ものスタッフが辞めていきました。


私は、そこでね、食らいついていこうとしていたんです。
これが悪しき自信と言うか、傲慢さというか、これ破滅のモトだと思います。


結局出来なくて、、、「こんなもんじゃ納得しない」
よく言われてました。
その上がった給料を楯に(笑)もっともっともっとやれと。

私は生真面目だったから、それを鵜呑みにして、すごいプレッシャーで、苦しかったなぁ。
メールも見張られてるみたいな感じで、少しでも間違ってたら、指示のメールが来てるわけです。
夜中の3時とか4時に。


で、日々言うことが変わる。
ほんとにほんとに言うことが変わる。
上司というものがよくわかってなかったから、いちいち真に受けて、対応して、ほんとに辛かった。


いちばん辛かったのは、夜に目の焦点が合わなくなり、
上司から直接「今日はパソコンを置いて帰りなさい」と言われて帰ったら
(とか言っても、その時点で夜10時とかなんですか)
翌朝出社するとすぐに呼ばれて

「昨日、あなたのアシスタントの○○は夜中の3時まで働いてたのに、どうしてあなたは何もしてないの!?」

と、叱責されたことです。
もしかしたら、相手には叱責の意識なんてなかったかもしれない。


その時もう、目が時々そうしてよく見えなくなるくらい疲れきっていたので、
上司直々に休めと言われた時でさえ、ほんとは休んではいけなかったんだ……と思って、
私のなかの何かが、パリンと割れて、足元の地面がグラグラ、そして何か泥沼のようなところに飲み込まれていく、、
そんな感じでした。


とにかく、過干渉な上司だったと思います。
ある時なんて「あなたには女らしさが足りない」と言われました。
(あ、この上司、女性です)

今思えば、怒っても良かったと思うし、人事とか他の人に言いつけても良かったと思うけど、
とにかく私は生真面目すぎて、真に受ける悪いクセがあって、
普通にショック受けて、普通に少しずつ改善しようとしたりしてました。


近頃学んだことで記憶に残っているのは、
他人との距離が自分との距離
自分を信じている分だけ他人を信じられる

つまり
自分=相手
という考えです。

前から言われてはいたんだけど、腑に落ちたのが最近という感じです。


あの過干渉な上司、、
いいところもあるんですよ。
近くにいたから、よく知っています。


でも、やっぱり、私にだけでなく、みんなに、少しやり過ぎでした。
私達の残業時間があまりにもすごいので、それを上司が調整していたようだ……と知ったのは辞めてからだったかな。

もうその会社ないので、書けることですが(笑)


その上司が来た頃、私より年上の先輩社員たちは、どんどん辞めていきました。
評判は、社内では有名だったみたいです。
そういうことが、私には「逃げ」みたいに見えて、どうも受け入れがたかったけれど、
ずいぶん大人になったからか、戦わないことの大事さみたいなものに気付いたみたいです。


あの時ほどではないけれど、雰囲気的に似ている状況があって、
今のわたしなら、、、
そう思ってきたけれど、
実際にいざ、そんな景色が広がった時に、
真正面からぶつかっていくよりも、うまく逃げる方法を見つけようって、自然とそう思ってました。

向き合って分かり合っていくよりも、適度に交わして自分のコンフォートゾーンを守るという、
それってすごく大事なことだったんですよね。

もちろん、仕事ですべきことはします。
でも必要以上の干渉とか、その人の感情とか、そういうのは受け流してよかったんです。


白黒ハッキリしているその人が、何を気に入り、何を嫌いと思うかなんて、私にはわかりません。
嫌われても、悪評を付けられても、私の責任だけではないんですよね。
相手が何を考え、何を思うかは、私にはコントロールできないことだから。。。


戦うことも、
議論も、
もはや意味がないと思うんです。
固いものと固いものとがぶつかっているような、粉々になる未来しか待ってないから。


あの頃より、私はもっともっと、うまくやれる自信があったけど、
実際は逃げる方法ばかり考えてる気がする。

それでいいんだと思う。
それでやっと、私は戦わない選択肢を持てると思う。


だからこれくらいの時には、うまくやる必要なんて、もともとなかったんだって、やっと気づいた。
やっと、気付いた。


それに気付くまでに、10年かかった。
長かったな。。。