猫好きダイアリー

no cat no life

ビックリしてしまった舞台「毛皮のマリー」


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今日は風がものすごく強いですね。

お出かけが今日でなくて良かったと心底思ういま。

昨日は新国立劇場へ美輪さんの舞台「毛皮のマリー」を観に行ってきました。

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去年観た「黒蜥蜴」がとても面白かったので、何もよくわからないままチケットを取りました。

「退廃的」の意味もよく理解しないままに、観た舞台は衝撃の連続。。。

いま英単語の意味をよく調べますが、日本語で辞書を引いたのなんて久しぶりのような。


美輪さん扮する男娼のマリー。

マリーが男娼役だってことも、終わって調べて確信を持てた程度の私。

いやほんと、何ていうのかな。

私が大学生の頃にギリシャあたりの話で、壁画に男性同士のことが描かれた絵がたくさん残っているという話があり、

恋愛というのは何も性別が先にあるものではなくて、

男と女の関わりだけがただひとつというわけではなくて、

様々なことがあるのだと思うのです。


だけど私がこうした文学作品や芸術作品から感じるに、

そういうことは現代になるにつれて情報がインターネットを通じてオープンになってきたこともきっとあるんだろう、

世間により開かれたものになってきているのかなと、

そういうところがあります。


でもきっとたったほんの数十年前とかでは、

それらはごくごく一部の閉ざされた、

隠微な世界があったのではないかなと、

そんな風に思います。


人権とかモラルとかそういうものも、

それらが声高に叫ばれて、

そのことが隅々まで行き渡るような情報通信手段を得て初めて、

「こういうことは言ってはいけない」

というような空気が生まれたのかもしれない。


私の祖父あたりは、今では禁止されているような

差別用語をバンバン言っていたし、

何よりそもそもそれを言ってはいけないことなんだという認識そのものが、

希薄であったような気がする。

または他に表現方法を知らない時代だったのかもしれない。


そういう閉ざされた世界の中にある、

公ではない、

けれども確実にこの世界の一部である、

そんな世界の話。


寺山修司と美輪明宏だからこそ、

生まれた舞台なんだろうなぁ。


でも演出にいろいろビックリしたし、

これは完全なネタバレになりますが、

主人公のマリーが、自分を辱めた同級生のことを、

とある労働者を雇ってレイプさせ、妊娠させたという件があるのですが、

それに関するセリフを聞いて、

高らかに笑っていた観客の感性は完全に理解をかけ離れていて、

私は絶対に添えないなと思いました。


でも理解はできないんだけど、

人間にはそういうところがある。

そのことはよくわかります。


そういう皮肉やいやらしさ、

人を蔑むような部分、

美しさとムダ毛の同居。


華麗な中に、

美しさの中に、

生々しい人間らしさがあることを、

目を背けずに描いていて、

私は頭の中が混乱しました(笑)


美輪さんの舞台はいつ行ってもお花が満開!


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美輪さんの言う「人間関係は腹6分」とすることで、

長い人間関係を築くことがきっとお上手な方なんだと思います。

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