猫好きダイアリー

no cat no life

順番が逆!ですって。アーユルヴェーダクリニックの診察で・・・。


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先日のクリニックの診察(私のかかりつけのアーユルヴェーダクリニックの診察)は、

相変わらず面白かったです。

またずっと笑ってました。


先生のTwitterなどの話しや、

本を読んだりしていると、

アーユルヴェーダの言いたいことがよくわからなくなってきて、

「だから結局どうしたらいいの!?」と八つ当たりしたくなったり、

何もかもを放棄したくなったりしている私ですが、

先生の診察はいつも面白い。

これだけは間違いがない。

だからきっと通い続けているんだと思います。


今回は約半年ぶり。

講座も2月に終わっていたので、

久しぶりにお会いしました。


「最近どう?」と言われたので、

ココ最近の出来事や遊びすぎなことなど、

それから親とのイザコザのことなどを話して、

「親離れだね」と言われました。


それで私はここ数ヶ月、

転職のことを考えていて、

考えることのウエイトがそこに置かれていて、

でも具体的にこうだっ!っていうのがなかなか定まらなくて、

揺れています。


望ましいプランとしては、

まず転職先を探して、

決まったらそこに通いやすい場所に居を構える、

そういう流れで思っていました。


しかし、先生によるとそうではないと。

逆だと言われました。

「まずあなたが住みたい場所に住む。そしてそこに合った仕事を見つける。それが主体的に生きるということだろう?」

と。

へぇぇぇ〜〜〜??

「考えたこともなかったです…」


私は仕事の選択肢が狭まらないほうが良いと思っていて、

住まいは会社が定まってから選んだほうが、

むしろ条件が絞れて探しやすい!とすら思っていたのです。


でも違うんだそう。


まず、あなたが住みたい場所に住み、

そこで丁寧に生活して、

ご飯を作ったりしながら幸せを作るから、

適した仕事が見つかったりする、

なんなら家が決まりかけたら、

就きたい仕事がやってきたりする、

「そういうもんでしょ?(^^)」

と先生。


先生、そういうもんなんですか……??笑


まず、自分のしたいを大事にして、

それを指針に生きる。

それが主体的に生きるということだと。


というわけで、

クリニックの診察なのに、

出た診断は、

「まず引っ越してください」

でした。


家のこともいろいろあるかもしれないが、

まず家を出て、

考えるのは自立をしてからだ、

そんな付属品のような状態で、

あれこれ家のことを考えるのはやめなさい、

というお話でした。


というわけで、

週があけてから、

ものすごく物件を検索しています。

(素直だよね?)


私にとっては「ノーキャットノーライフ」なので、

猫と快適に暮らせることが最優先。

でも、そうすると、一気に候補が減ってとても少なくなるので、

この街に住みたい!みたいなのって、

ちょっと叶えにくいかもしれないです。


でも、たしかに、

仕事を探すよりも先に、

家を探すほうが今の私にしっくり来るような気がする。

ワクワクもする。


きっと今のままで住まいを決めることに不安があったから、

先に仕事を決めたかったのだと思う。

それは、なんとなく、わかる。

(それは何故かというと、たとえ収入はしっかりあっても、いわゆる非正規で働いているからです。)


あと占い師さんにそう言われたから!!笑

仕事が決まるまでは今の家で、

決まってから引っ越すのでいいよと。


まあ、たしかに、主体性はないですよね、この決め方に。


実家に戻る前に住んでいた場所は、

都内でも相当交通の便が良く、

駅チカで、

すぐそばにコンビニもスーパーもドラッグストアも、

パン屋も美味しいつけ麺屋も、

何もかもあるような場所でした。


でも今の私には、

コンビニよりも猫。

パン屋よりも猫。

なんですねぇ。


というか今の実家の周りは、

田舎過ぎて車で移動しないとなんにもできないようなところなんですけど、

引っ越してそれなりの家賃を払うとなったら、

これだけ払うんだから便利な場所に!と、

思ってしまうところがあり、

家が古いからこそ、

これだけ払うんだから綺麗な水場で!とも、

思ってしまうところがあるなーと気付きました。

(だってさ、昨日も家でGメンに遭遇したからね。。。)


今回はわりとゆっくり先生とお話出来たのですが、

ほとんど人生相談してました。


他にも適した結婚相手の見つけ方とかを話していたのですが、

良きパートナーを見つけるためにも、

私に下された診断は引っ越しですので、

良い物件と巡りあうことを信じて、

探してみたいと思います。



自分の人生という、

車のハンドルは、

自分で握りたいと思い始めてから何年か経つけれど、

やっぱりこうしていつの間にか、

自分の思いよりも何よりも、

条件を優先したりして、

生きていることを痛感させられました。