ハチドリのひとしずく。
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森が燃えていました。
森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました。
でもクリキンディという名の ハチドリだけは 行ったり来たり
くちばしで水のしずくを一滴運んでは 火の上に落としていきます。
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
と言って笑います。
クリキンディは こう答えました。
「私は 私にできることをしているだけ」
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私はブログを読むのが趣味です。
その前は(今もだけど、それよりもっと)本を読むのが好きでした。
そんな風に読むキッカケになったのは「富士丸」という1匹の犬でした。
その時の同僚が、富士丸の本を貸してくれて、私はすぐにハマり、
その後いろんな人のブログを読むようになりました。
およそ10年前のこと……
それからほどなくして私は何度目かの暗黒時代(笑)を迎えます。
そのときも私と社会のつながりをむすんでくれたのは、私を救ってくれたのは、
その時のブログであったことは間違いないです。
昨日今日の北斗晶さんのブログにハチドリのことが書いてあって(^^)
気になって検索したのがこの「ハチドリのひとしずく」でした。
こんな毎日を続けて、一体何になるんだろう。
ちっとも先に進んでいない気がする。
何も許せていない気がする。
くるしい。
つかれた。
もう何も考えたくない。
どこに向かっているのかわからない。
昨日から調子が悪くて(って言っても、女性なら誰でも調子が悪くなる時期ってやつです)、
そんな暗いことばっかり考えていました。
きっと体調がわるいだけ。
きっと1週間後には何事もなかったかのようになる。
だけど私は私を見張っていなければ、何をしでかすのかわからない。
この詩?は、だからどうとか書いていない。
それをしているハチドリがいいとも悪いとも書いていない。
それは、読んだ人それぞれの心の中に生まれるものだから。
散文とか芸術って、そういうことかなと思いました。
白黒付けなくても良くて、
どんな解釈しても良くて、
好きでも嫌いでも良くて、
それをぶつけあっても良くて、
その物語を好きな人と嫌いな人がいても友達でいられる、
そういうもの。
考えは人それぞれの中でできるもの。
そしてそれは、本来は勝ち負けのないもの。
思った通りに思えばいい。
思った通りのことを大事にすればいい。
ほんとうは普段からそうすればいい。
ほんとうはいつだってそうすればいい。