猫好きダイアリー

no cat no life

ハチドリのひとしずく。


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森が燃えていました。 


森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました。


でもクリキンディという名の ハチドリだけは 行ったり来たり


くちばしで水のしずくを一滴運んでは 火の上に落としていきます。


動物たちがそれを見て

 

「そんなことをして いったい何になるんだ」

 

と言って笑います。

 

クリキンディは こう答えました。 


「私は  私にできることをしているだけ」

*****

 

私はブログを読むのが趣味です。

 

その前は(今もだけど、それよりもっと)本を読むのが好きでした。

 

そんな風に読むキッカケになったのは「富士丸」という1匹の犬でした。

 

その時の同僚が、富士丸の本を貸してくれて、私はすぐにハマり、

 

その後いろんな人のブログを読むようになりました。

 

 

富士丸な日々

富士丸な日々

 

  

およそ10年前のこと……

 

それからほどなくして私は何度目かの暗黒時代(笑)を迎えます。

 

そのときも私と社会のつながりをむすんでくれたのは、私を救ってくれたのは、

 

その時のブログであったことは間違いないです。

 

 

昨日今日の北斗晶さんのブログにハチドリのことが書いてあって(^^)

 

気になって検索したのがこの「ハチドリのひとしずく」でした。

 

こんな毎日を続けて、一体何になるんだろう。

ちっとも先に進んでいない気がする。

何も許せていない気がする。

くるしい。

つかれた。

もう何も考えたくない。

どこに向かっているのかわからない。

 

昨日から調子が悪くて(って言っても、女性なら誰でも調子が悪くなる時期ってやつです)、

 

そんな暗いことばっかり考えていました。

 

きっと体調がわるいだけ。

 

きっと1週間後には何事もなかったかのようになる。

 

だけど私は私を見張っていなければ、何をしでかすのかわからない。

 

 

この詩?は、だからどうとか書いていない。

 

それをしているハチドリがいいとも悪いとも書いていない。

 

それは、読んだ人それぞれの心の中に生まれるものだから。

 

散文とか芸術って、そういうことかなと思いました。

 

白黒付けなくても良くて、

どんな解釈しても良くて、

好きでも嫌いでも良くて、

 

それをぶつけあっても良くて、

その物語を好きな人と嫌いな人がいても友達でいられる、

 

そういうもの。

 

考えは人それぞれの中でできるもの。

 

そしてそれは、本来は勝ち負けのないもの。

 

思った通りに思えばいい。

 

思った通りのことを大事にすればいい。

 

ほんとうは普段からそうすればいい。

 

ほんとうはいつだってそうすればいい。