猫好きダイアリー

no cat no life

アーユルヴェーダ主治医からの悩ましい助言。


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去年の11月くらいから、

実は職場でいろんなことがあって、

かなり悩んだり心配したり不安になったり、

そして辞めようかなと思ったりしていました。

 

みんながいなくなるのに一人で置いて行かれるのがいやだーーー!!!

って思っていて、それを感じたくなかったのもあると思う。

 

似たような体験を既にしたことがある。

一度ではない。

 

残された方はいつだって大変で、

清々しく辞めていったみんなの方がいつも幸せになっている気がしていた。

 

ぐちゃぐちゃでいいかげんなまま辞めていった人たちの仕事を引き継いで、

そのことを怒られる理不尽さ。

 

どんどん辞めていった人たちの仕事を、

その後も少ない人数で回していかなければならない時の、

どうしようもないやるせなさ。

 

なぜなのか?私は残されて、それでも頑張るというメンタリティの場所に何度も立ってしまう。

 

だからこれを機に逆の立場を経験してみたい!ということもあった。

 

でも……もう少しだけ続けることにしたのは、

アーユルヴェーダの先生に

「あなたは今までしてきたことの結果を受け取る年だから、いま辞めてはダメだ」

と言われたことがとても影響している。

 

誰かの言葉で決断を鈍らせることは、

したくないことだったけれど、

私の生きる指針をいつも相談しているメンター的な存在の人にそう言われて、

結局のところ、その言葉を超えられなかった。

 

あてもなく仕事を辞めることよりも、

残るほうがしんどいのは、

未来に受け止めなければならない課題が具体的にわかるから。

 

あの人たちとうまくやっていけるのかなとか、

これはもう限界だなとか、

そういうこと。

 

どんな人に出会うのか、

どんな環境なのかわからないほうが、

ある意味気楽に歩きだして行ける……

そんな感じかなあ。。

 

でもその「残される私」になって、

悲しみをしっかり感じながら、

私はとある出来事、、、

その昔に辛かった思い出を今のこの出来事を通して、

その時をなぞるようにして再び過ごすことで、

私が抱えてきた寂しさと悲しさを

いま浄化するチャンスを得たのかもしれないと少し感じている。

 

そんなふうにしてこれまでも、

少しずつ昇華してきて、

そして今も無事に生きていて、

またこの出来事をリニューアルするタイミングが訪れるのは、

ありがたいことだなあと思う。

 

このことがもしかしたらギフトなのかもしれないなら、

私は乗り越えられるその時が来るのを、

もう何年も待っていたのかもしれない。

 

こうして再びそのことに出会った時に、

違う選択が取れる私がいて、

そしてやっと私は、

自分が成長したことを認められるようになる。

このことはもう大丈夫なんだと信じられるようになる。

そういうことなのかもしれない。

 

今のこのチャンスが訪れたことも、

ここまでの積み重ねがあってこそだから。

 

先を急がなきゃと思う一方で、

年齢のことを取り払ったら、

やっぱり私はまだ先に進めなかったということなのかもしれない。

 

今日とりあえず、

感じたくなかった悲しさを存分に感じて、 

さみしいよーーー!

いやだよーーー!!

を言いまくったら少しラクになった。

 

過去の分もこのチャンスに言いまくろう。笑

 

 

生きることは基本辛いことでしかないけど、

こうして再び取り組むチャンスが訪れることは、

大変ありがたく幸せなことだなあと、

そう思った夜でした。