美しい現実の中。
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その人と一緒に働いていた時、朝令暮改で仕事の方向が変わるのが嫌だった
その人と一緒に働いていた時、その人がしょっちゅう仕事中にネットサーフィンをし、フラフラと出かけて長時間不在にし、ずるい!と思って嫌だった
その人と一緒に働いていた時、様々な制約やプレッシャーをかけられて、また人によって態度が違って嫌だった
その人と一緒に働いていた時、独断でいろいろなことを決めてしまうのが嫌だった
そして今
その人と一緒に働いている時、申し訳なさや感謝が何も伝わってこず、嫌だ
その人と働いている時、ケアレスミスがちょくちょく起こり、迷惑がかかるのが嫌だ
今のこの現実↑
また私には嫌なことがあるわけ(笑)
で、この現実を前にすると、
その過去の嫌だった事すら、懐かしく美しく、楽しかった思い出のような気になるのです。
失くして気付く。
それが大切だったと。
その中で私は居心地良くいさせてもらったんだと。
だけど、今、今、今、と、現実を生きる私は、
この瞬間瞬間も美しい時の中にいることに気付けないのだ。
本当はいつでも美しい時の中にいる。
2度と取り戻せない瞬間の連続が、いつまでもいつまでも永遠に起こるような気がするから、
こんなにもいつも「嫌だ」と思うことの連続を生きているわけ。
それはある種、信頼かもしれない。
この時をそうそう簡単には失わないのだという。
実はそう思っているのかもしれない。
だってそれが明日も明後日も続くような気がしてるから、そんなことばかり考えているのだと思う。
とても懐かしく美しい時間。
あの頃は良かったんだなと今初めて思うこと。
だけどまた、その状況がそっくりここに現れて、またその現実を黙々と生きるようになったら、私は不満を思わずにはいられないのだと思う。
そういう、
そういう奴なんだよ、私は。
いや私だけじゃないんだろう。
人間はそういうふうに出来上がっているところがあるんだろう。
だから今のこの進化があるように。
だからいつだって何かしらの不満があることは、もう仕方のないことなのでしょう。
…ね?(((^-^)))