猫好きダイアリー

no cat no life

できることをちょっとずつ。


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まだそれで動いてないんだけど、次の週末は頑張る予定で、ゴールデンウィークで結論出せたらと思ってる感じで、

実は愛しい愛しい猫を実家に置いて一人で引っ越すことにしたのです。

 

そう書いていてもまだ揺れる。

とても切ない。

 

だってこんなにも好きなのに、どうしてそんなことができようか!と、ずっと思っていたのだし、だからそこをなんとか!と頑張って半年以上も家を探してきたのに。

 

でも先日の占いで言われたのです。

「引っ越しをめんどくさがっている。だからなかなか決まらないんだ」

いや、もう、観念するしかない。その通りですと。

 

今日夕ごはんを食べたうちの猫が、久しぶりにまあまあ盛大に吐いてしまった。

 

子猫の頃に親と別れた猫には、時々現れるウールサッキングというのがあって、うちの猫は見事に食べてはいけないものを食べてしまう。

 

だから気をつけているんだけど、今日も食べてはいけないものを食べてしまっていたらしく、食べたものと一緒にそれが出てきた。

 

運が悪いと腸閉塞になり、死に至るので気をつけてねと、子猫の頃からかかりつけの獣医さんに言われていたこと。

 

そう、もう、うちの猫は、この家で私と両親の三人体制でかまわれることになれすぎてしまって、尚且つこの古くてだだっ広い古民家になれすぎてしまって、

あらゆることが都会で暮らすのに向いてない状態なのにもかかわらず、無理を承知で連れ出そうと思っていたのです。

 

だってそれが私の責任だし。

だって私が飼うって決めたし。

だって帰って猫がいないなんて、これから私は何を楽しみにすれば?

 

それは強がりがもしれない。

 

猫のためにいい家を探そうとすると、それは私だけで考えた時の条件と真逆に行ってしまう。

その葛藤の中で、折り合いをつける家をずっと探していたんだけれど、、、

 

でもその占いの人がね、私を許す言葉をくれて、背中を押してくれたのです。

 

全部捨てたくなくて、全部大事だから、だから頑張って長距離通勤を続けていた。

 

今は辛いけど、これはこれで幸せ。

 

だけど本当は今私にはやらなきゃいけないこと、後悔することがあるのを、知っている。

 

今は良い。

でもこのままこの暮らしを何年も続けたら、そのことに取り組まなかったことを、きっと後悔する。

それが見えてくる。

 

だけど改めて今日、猫が久しぶりに吐いてしまって、私の中に「ひとりぼっちの時に吐いたりして、何か大変なことが起きてしまう不安」を抱えていたことをクッキリ認識した。

 

そう、怖かった。

無理して連れ出して長時間お留守番させて、その間に何かあったらどうしようと。

 

でも残していくのも怖かった。

それにいつまで両親が元気なのかも、わからないから。

 

もう永遠の元気を無意識に信じていられる年齢ではない。

 

でもね、その占いの時にいろいろ言ってもらって、私は猫を残していく私を、許そうと思った。

だけど実際には悲しくて寂しくて、たまらないこと。

そしてこの週末、猫サービスしながら一緒に過ごしていたというわけです。

 

ある意味で猫は、私以上に両親に愛されているし、きちんと猫の美学をもってこの家で堂々と生きている。

 

もしかしたら猫は、私の付属品ではなかったのかもしれない。

 

別れることを想像すると、あまりに悲しい。

 

でも今日、ずっと前に買って、猫にかじられるのでしまっているyogiboを、新居に持って行って使えるんだ!?と思ったらニヤッとする瞬間があった。

 

きっと猫はここで大丈夫なんだと思う。

 

大丈夫じゃないのは私の方。

 

ホントにホントに大好きで、ただいるだけで、私に生きる力をくれた猫。

私に生きる意味を与えてくれた猫。

 

その猫と離れてまで頑張ろうとしていること、取り組もうとしてること、そんな風に思えるようになった自分のことを、喜ばなきゃね。

 

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家に帰ると必ず出迎えてくれる、もふもふであったかい生き物。

 

それだけで超絶幸せなんだって、教えてくれた猫。

 

大好きだよー!!!(´;ω;`)