猫好きダイアリー

no cat no life

大人になること。


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私はさんざん今まで

「生きてるのがつらい」

ということを言っていた。

 

けれど、私に気づかせてくれた

ある文章があって、

「もしかしてそれなりに辛いのは当たり前なんじゃない?

  その中から目標に向かって努力したり楽しみを見つけたりできる人が大人なんじゃない」

と、ふと、思ったんです。

 

もちろん私は多分、

この年で他の人と比較したら、

いろんなことに巡りあい辛い思いもたくさんした。

 

でもそのことに甘えて、

「傷ついた私」でいようとしてはいけないのだ。

 

 

今回の引っ越しは、主治医に親のことを話した時に

「そんな親の付属品のような状態でいてはダメだ」

と言われたところに端を発する。

 

あらゆるヒーローの物語は「コーリング」から始まる。

何かのトラブルや天啓を受けて旅立つ時のことだ。

そして様々な試練や困難を乗り越えて、

最後の最後に旅だった場所へ帰ってくる。

ひと回り大きな自分となって。

 

もしかしたら、

これはコーリングなんじゃない…??

 

 

そして今朝、ある本を読んでいて、

作者のあまりのたたみかけ方に、

思わず泣いてしまいました。

 

子供の頃、

あらゆる時にあらゆる事で、

泣いてばかりいたのはなぜだろう。

 

嫌なことや理不尽なことがあっても、

それに反発すれば、

親や兄の不機嫌によって、

喧嘩腰によって、

逆ギレによって、

時には叩かれることによって、

私は口を閉ざされ、

コントロールされてきた。

 

やっと去年頃になって、

私はそういう人たちに

「嫌だ!!!」

を伝えることができた。

 

全身全霊で伝えることで、悩まなくて済むようになったことがあった。

 

父とはもう一生分かり合えないと思う。

でもそれでもいいと、

思えるようになった。

 

私はもう「愛されたい愛されたい」とか、

渇望的な思いに焦れなくなった。

 

NLPを始めたのは、

誰とでも、

どんな時でも、

落ち着いて人と関われる自分を手に入れたかったから。

 

だけどそれから約5年も経った今は、

苦手な人には近寄らなくて良いじゃない!

嫌なことはしなくて良いじゃない!

と思っている。

 

そんな中で、

数人気が合う人と出会えばそれでいいじゃないかと、

そう思うようになった。

 

私にとっての大人になることは、

もしかしたらこの中にあるのではないのかな。

 

うまく行かないことも、

失敗も、

誤った選択もあることを織り込み済みで、

それでも自分を愛し、

それでも自分を励まし、

それでも前に進もうとする背中をそっと押していく、

その中にこそ、

私が本当に必要としていたものがあるのかもしれない。

 

過去にも何度も家から出たことはあって、

でも今ここに戻って、

それなりの努力と我慢で、

安定した日々は送れている。

 

何にしたって、

変化することへの恐怖はもれなくついてくる。

 

好きな人と結婚する人にすら、

マリッジブルーが訪れるように。

 

 

やっと今になって、

先生が私に、

家を出なさいと言ったことの意味が、

わかるような気がする。

 

これがコーリングなら、

次に待ち構えているのは必ず試練なんだから、

残念ながら、

どれだけ怖がったってそれが訪れるんだ。

 

無闇矢鱈に怖がるだけ、

無駄というものだ。