猫好きダイアリー

no cat no life

見てる人は見てると言うけど


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見てる人は見てると言うけど、ホントにそうなんだな〜としみじみ思った昨日でした。

 

逆に見てない人はホントに見てないわけですけど…

え!?1ミリも気付いてないの!?という驚くパターンも。。

 

でもなんだかんだ言って、みんなも似たようなことを思ってたんだなと分かってホッとした。

ひとりで悶々としてたから、なーんだ!!って感じ。

 

いろいろと辛いこともあったけど、そのおかげで私がやりたいことだったり、思い描いている環境だったり、そういうものが前よりクッキリしたし、

それはあまりに違いすぎたからわかったことで、長い目で見たら良かったことだったのかなと思う。

 

こうしたいとか思いながらも、それを言語化するのが苦手だし、なんか恥ずかしく思っちゃうけど、

それが恥ずかしげもなく言えるようになったら、世界が違って見えるかも。

 

夢見がちでも何でも良いから、堂々と言ったらいいのに。

笑われても構わない。そういう気持ちで。

でもどこかで自分こそが「夢見がち」って批判してるね。

それももうわかっている。。

 

何故か私の習性として、目の前に突然現れた人の言葉をいきなり100%信じることがしばしばあって、でもそういうときの嗅覚というか野生の勘というか、そういうのってハズさない気がしてる。

 

どっち方向に進もうかと迷ってたけど、とりあえずこっちだな!これらを手当り次第にやろう!とも思えたし、今向かってることがうまく行かなくても、それがわかったことが収穫だと思う。

 

その人がメッセンジャーになって、教えてくれたんだなと思う。

 

で、これはあらゆるところで思うことですが、本当に能力がある人って、そういう人こそ出来ない人を馬鹿にしないし、対等に扱ってくれる。

出し惜しみせず、教えてもくれる。

厳しいんだけど優しい。

なんなら親切に細かく言ってくれる。

あれはなんでしょうね。

これかなりの共通項に思います。

 

前々からそうだなと思っていたけど、またそういう人に出会って、更に思いを強くしました。

ちょっとくらい教えたって到底自分には追いつけないと思うからかな?

 

たいていやるべきことが明確だから、すごくシンプルだし、ものすごいグラウンディングしてる。

 

だから私、すごい人に教えて欲しい!と思ってるところがあって、一番迷いのない人に教えてもらおう!ってすごく思ってる。

 

そういうのを嗅ぎ分けていく力だけは、謎にあるのかもしれないなあ。

「ちょっとすみません、良いですか?」みたいな、こっちもこっちで堂々と聞きにいく。

なんかそこに変な下心はないというか、取り入る気持ちとかはなくて。

そもそも取り入る行動とか出来ないから、素直に尊敬する気持ちで扉をノックしに行く。

それでだいたい開けてもらってます。

なんだろ?聞ける!聞いたらできる!って、そこもそこで本気で思ってるなあ。

 

自分がわからないってさらけ出すの怖くないのも、これも周りにいま「絶対にわからないなんて言えない!」みたいな人がいて、人によってはそんな風になるんだ!と思うところであります。