猫好きダイアリー

no cat no life

どうしてまた同じ過ちを繰り返すのだろう。


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こんばんは!

明日は関東でも雪が降るかも!?と言う予報で、

少しこわごわした気持ちでおります。

 

幸いにも我が家には、

今日のたこパの残り物と、

実家から送ってもらった野菜で食料が豊富!なので、

家に引きこもっていられるものならば、

数日引きこもっていたいくらいです。

 

たこパはとても楽しかったです!

そのことはまた今度書くとして、、、

 

明日が雪かもしれない日曜日の夜は、

いつにも増して憂鬱です。

その憂鬱に便乗してここ最近やってしまった私の失敗を

書き留めておこうと思うのです。

 

私は現在、特に意図せずとも、

人の話をよく聞き、

なるべく肯定的な言葉を使い、

なるべく感情のコントロールをして、

できるだけ本来のところで問題を解決しようとしています。

(NLPの考え方と、その後の人生経験から)

 

そして大事な人を愚痴のゴミ箱にしないことも、

非常に大事にしていることです。

 

もちろん「こんなことあったよー!」と言って、

慰めてもらったり励ましてもらうことはあります。

しかしその時はその人から私が

慰めや励ましのエネルギーをもらっていることに、

なるべく意識的でいたいと思っています。

 

もちろんイライラすることもあります。

その時はそのイライラに自覚的になるようにして、

むしろイライラする事を抑圧しないようにしています。

(そしてそれを相手にぶつけるかどうかはまた別の話)

 

30歳くらいまでの私は、誰かとの問題があった時、

その問題の相手に本音を言えず、

その代わりに聞いてくれそうな人に

「こんなことがあって!」

「こう言うのが悲しい!ムカつく!」と

話を聞いてもらうと言うことが多々ありました。

 

そして寄り添ってもらえなかった時、

えーーー!と悲しくなったりしていた。

 

しかし反面、私もそうされていました。

寄り添い優しくして欲しい人を引き寄せていた。

でもある時、それじゃいけないと思ったのです。

 

本当に大切な人とこそ、楽しい時間を過ごしたいから、

そうであれば大切な人に愚痴を聞かせるのってどうなの?と。

 

だから私は相手にそうしないように気をつけるようになったし、

相手からそう扱われる場合は距離を取るようになった。

 

 

さて、よく人から「安心感がある」と言われる私は、

人の秘密を打ち明けられることも多々あります。

 

「この人になら話せそう」と思ってもらえることは、

もしかしたら光栄なことかもしれないけれど、

時に相手が「墓場まで持っていく」つもりだったような秘密を、

聞いてしまうこともあり、その責任も時にとても重く感じることです。

 

それを知ってしまったら

「その秘密に配慮したやりとり」しか

できなくなるからです。

 

周りがどんだけそこに対して無神経な話をしていても、

きっとそれでその人が傷ついているであろうことを知っていて、

どこかで私は気を遣う。

 

私が何かを人に打ち明ける時は、

全部明るく話せるようになってから言うように気をつけています。

 

一方で。

なかなか言いたいことが言えない人から、

そんな風に打ち明け話をされたりした時に、

もちろん私は全然考え方が違うことがある。

 

そう言う時に、特に女性は、

正論とか解決方法が知りたいわけじゃなくて、

ただただ寄り添ってもらいたいだけである、

と言うのは男と女の話としても有名な話。

 

それはもちろん、私にだってそう言うことはある。

 

けれど「この人全然言うべきこと言ってないな」と

話を聞いていて思う時には、

自分がいつもできるだけ本当に解決すべき相手と話し合うことを、

自分に課しているが故に

「それ相手に言ってみたら?」

と言って、大抵嫌がられます。

 

 

そうやって言っているうちに、徐々にその人が

「なんでこの人はわかってくれないの!?」

と言う風になってきて、むしろ怒りが私に向けられたりします。

いつの間にか思いが私の方にスライドしている。

 

そしてその後、大抵その人とうまくいかなくなる・・・。

 

けれど、考えてみて欲しい。

そもそもあなたに嫌な思いをさせた相手は私ではない。

けれどその相手にはその怒りを出せない。

出しやすい私に、出す・・・。

 

私からすると、

そんなエネルギーを向けられている私も辛いよ・・・

と言う風に思います。

 

 

だからそもそも、そう言う局面に立たなくても良いように、

最初から見極め、怪しい場合は容易に近づかないようにしようと

思ってきたのですけれど、

つい最近、またやってしまいました。

 

また似たようなことが起きて、心底、自分が嫌になりました。

できるだけ自分に否定的なことなんて思いたくないけど、

本当にがっかりした。

本当に本当に自分にがっかりした。

 

バカだな〜私、そう思ったのでした。。

 

ただただ慰められたい、愚痴りたいだけの相手に、

建設的な解決方法を伝えることがナンセンス。

 

それなのにそれをまたやってしまい、

相手から「今日話したことは忘れてください」と言われる始末。

 

あ〜〜〜〜〜〜〜

下手こいた〜〜〜〜〜

と思って、それから落ち込みました。

 

なんならとても真剣にアドバイスしているもんだから余計に。

でもそう、そうなんですよ。

そう言うの「おせっかい」って言うんでしたね。

 

私ももっと見極めなくちゃいけないけれど、

でもそう言うことを話す際には、相手にも見極めていただければと。

 

私にはその「あーわかるわかるー」ができる時と、

そうではない時があり、

特に「本来言いたいのに言っていない」と言う相談には、

「それ相手に直接言った方が良いよ!」って言うアドバイスを

言う女なんだよ!!!(開き直り?笑)

 

 

そこでふっと浮かんでくるのが、

アーユルヴェーダのクリニックで言われた、

「machikoさんは圏外派」って言葉ですね。

 

私は人の気持ちがわからない圏外派なんだそうです。笑

 

先生に「そう言う時は、ごめんね、私分からないから」って言えばいいよ。

「でも私も気持ちはあるからさ」って言えばいい。

と言われたこと。

 

たくさん学んで、日々の中で生き方のPDCAサイクルを

毎日毎日回しているけれど、

なかなかうまく生きれるようにならないですね。。。

 

真剣故に摩擦を起こしている気もする。

 

もうちょっと物事に適当な感じて向き合うくらいで、

私にはちょうど良いのかもしれないです。

 

 

うん。

でも、やっぱり、今回も、

ちゃんと相手の状態とエネルギーの状態を見て、

その人が「本当はどうしたかったか」に寄り添って言葉を伝えた。

 

本人が気が付いていること以上に、

外から見た私が気付くことってあるから。

 

そこに対して真摯で嘘がなかったことは、誓える。

 

だから例えうまくいかなかったとしても、

そこの所の自分は労わり、思いは大事にしよう。

 

 

いつまでもこの事を引きずっていては、

自分にとっても良くないなと思ったので、

ここに書きました。

 

書いて、私はその人を傷つける意図もなければ、

その人の根底にある想いに寄り添い、

言葉を紡いだ感覚を思い出せました。

 

例えそれが相手にとって受け入れがたい言葉に

なってしまったんだとしても。

 

 

では、おやすみなさい。

明日も良い日でありますように。