猫好きダイアリー

no cat no life

新聞だってメディアだってビジネスだから。


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いつのことだったか、なんで行ったか忘れてしまったけれど、昔セミナーに行きまくっていた私は、ある時元新聞記者みたいな人のセミナーに行ったと思う。

 

様々な媒体で出てくる数字のカラクリのこととか、どういうニュースが数字が取れて、どういうニュースが数字が取れないかということ。

 

何の話だったか本気で忘れてしまったんだけど、とにかく○○みたいなニュースはウケが悪いから扱わないんだ、というような話があって私は結構それが印象深く記憶に残っている。

 

何が言いたいかって、そういうことが社会の、ビジネスの仕組みだっていうこと。

 

平和なニュースばかり扱ってたら、数字が取れない、のだ。

 

 

最近やたら交通事故のニュースを目にする。

真実はわからない。でも今数字が取れるから、そういうニュースで埋め尽くされているのかもしれない。

 

 

私の家にはテレビがないので、もはやほとんどバラエティは見ないけど、唯一毎週マツコの知らない世界とワイドナショーの動画生中継だけは楽しみにしている人間です。

 

完全なダウンタウン世代で、松ちゃんのクズなとこも、松ちゃんの天才的なとこも、ドキュメンタルのクソ下ネタっぷりも知っていて、その上で松ちゃんの話を聞いている。

 

ニュースで時々松ちゃんの発言が炎上するたびに「松本人志」という名前が持つ「数字」があるから、こんなことになるんじゃないかなと思ってしまったりする。

 

いつしかジャーナリズムは瀕死の状態になってしまって、インターネットのメディアなんて、取材なんかしなくってテレビで発言したことをまとめた記事ばかりになり、今やそれが当たり前になった。

 

でもそれもこれも、私達がそれに関心を持ち、数字が取れるからそうなっているんだと思うんです。

その非難、メディアの思うツボになっていませんかと。 

 

 

いやもちろん、言ってはいけないことはあると思う。

 

でも本当に被害にあったのが自分なら、肉親なら、、、殺したいと思うほど、憎むことだってあると私は知ってしまっている。

 

 

母親が失踪してしまった友人

兄弟がずっと精神的なことで入院している友人

子供の頃にレイプされた友人

父親がアルコール中毒で何度もトラブルが起きた友人

恋人を親友に寝取られた友人

 

 

全部、本当の話。

 

昔からいろんな人に出会って、私自身もいろんな体験をしてきて、何かを起こしてしまう側に一生立つことはないのか?と確信なんて持てずに生きてきました。 

 

 

えげつない文章表現だって、たくさんあった過去の文学作品たち。

今読んだらびっくりするような差別表現だってバンバン出てくる。

 

誰かを傷つける意図はなくても相手が傷ついてしまうことがある。

 

そうして誰かの心の中の小さな地雷は、日々の中で簡単に踏んでしまうことがある。

 

本当に言いたかったことが、適切に表現しきれないことがある。

 

ああ、そんな中で、表現は……表現の自由というものがあるこの国においても、どんどん難しくなっていってるなあとつくづく思う今日この頃です。