深夜のひとり言。「流浪の月」読了に寄せて。
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子供の頃のこととか、過去のこととか、過ぎ去った出来事が、どれだけ自分の中でくすぶっていても人には話さないようにしている。
そんなことに傷つき続けたり、囚われ続けたりして、ましてやそのことを人に話すことなんて、猛烈にイケてない事だ、と思っているから。
でもそれは極めてウワベの話なので、普段は考える事もやめてしまっているけれど、ふとフォーカスが当たった瞬間に泣いてしまうことがある。
傷ついた自分、に浸っている自分、のことも私は好きではない。
そんなこと忘れて、今やるべきことをやるべきだ、と思っている。
この世を生き抜くには、そんな暇はない。
でももしかしたらそうやって、本当は別にやりたくないけど、生きていく戦略として最優先にしていることが、自分を退屈させ疲れさせているのかもしれない、と思う。
どれだけ、人から望まない形で扱われようと、私は私自身のことをちゃんと大切にして、何を言ってもいい、何を考えてもいい、そういう存在だとして捉えたときに、私はどういう振る舞いになるんだろうと思った。
相手がどう反応するか、どう言ってくるかを気にせずに、いたとしたら。
相手がどういう反応をしようが、それでも私が思うことを表す、そこで思う結果にならなくて傷ついても構わない、そういう態度で生きたとしたら。
きっと相手は思う反応をくれない
この人に言っても仕方がない
何度も誰とでも自分の中に溜まっていく諦めの淀みが、むしろ私を不自由にさせていることに、いい加減、気づいた方がいい。
本当は嫌なことは嫌だと言えばいい。
それで相手が聞く耳を持たないならば、離れればいい。
ただそれだけのこと。
ただそれだけのことが、私にはいつでも難しいことだった。
人からはクソほどそうされても、尚。
どれくらいの力加減にするべきかわからなくて、言うのを諦めてしまうから。
考えているうちに、何もかも疲れてしまうから。
きっと思うような結果にはならないだろうと思うと、考えただけで嫌になるから。
それは、もう忘れてしまうくらい昔の私が、そのことに挑戦し続けていた結果でもあるんだろう。
どう言う感情になるのかを知っているから、こんな風に思うんだろう。
それを繰り返して、忘れるくらい昔に、私は諦めることを覚えた。
でも、そんなことにいつまで囚われているんだよ、そう言われてもいいから、その思いを大切にした方がいい。
多分逆説的だけど、そうやってくすぶった思いを認めて初めて、そこから脱することができるって頭ではわかっている。
こんなことを書いて、何日か経ったら恥ずかしくなって消すかもしれない。
でも今、すぐに消すことになっても、書き留めておきたいことだったので書きました。
私の中で未だにくすぶっていた数々のことに、久しぶりに光を当てた。
私には主人公が清々しいほどだった。
私が捨てようとしてきたものが、そこにあった。
これが「流浪の月」を読んで思った全てのことでした。
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雨が降ってきました。